モフモフ社長の矛盾メモ

ヒゲとメガネとパンダと矛盾を愛するアーガイル社のモフモフ社長が神楽坂から愛をこめて走り書きする気まぐれメモランダム

マナーには、5つのレイヤーがある

いわゆる「マナー」には、大きく分けて5つのレイヤーがあるが、これらを混同したままの不毛な議論が非常に多い。

 

マナーの、5つのレイヤーを紹介しよう。

 

  1. 他人と利害を調整する『ルール』
  2. 相手を不快にさせない『作法』
  3. 物事を上手にこなす『テクニック』
  4. 相手に好印象を与えるための『所作』
  5. 同類であることを示す『共通コード』


上の方の『ルール』は(例えば、順番を守る、など)、集団社会で生きていく上で必須の常識だが、下になるほどハイコンテクスト(前提条件となる文化や文脈を理解しないと意味不明)になり、他人と差をつけるためのライフハック的なものになっていく。

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先日話題になっていた「箸の持ち方問題」でも、これら5つを混同した挙句、互いに意見が全く噛み合っていない様子が多く見られた。

 

箸の持ち方教育の肯定派の多くは、正しい持ち方は相手を不快にさせない『作法』だし、一番食べやすい持ち方の『テクニック』であることを表向きの支持理由にしていた。

しかし同時に、正しく箸を持てない人とは付き合いたくない、育ちが悪く見られる、などの発言も多く、結局のところ肯定派は好ましい『所作』や階級を示す『共通コード』としての役割を重視していることがわかる。

 

一方で、箸の持ち方教育の否定派には、他人に迷惑をかけてないのだから自由だ、そんなことで人の価値を判断するな、という意見が多く見られた。

これはつまり、同類アピールのための『共通コード』や、他人に気に入られるための『所作』を、一般常識のような『ルール』『作法』として押し付けるな、という意思表示である。

 

これらの文脈を理解するためには、5つのレイヤーを正しく切り分けて理解する必要があるが、Twitterなどでは論点が完全にズレたままに不毛な議論が展開されており、変な階級闘争みたいな話にまで発展していたのは、非常に不幸なことだと思う。

 

このような混乱は、判子を傾けて押す謎のビジネスマナーの議論などでもたびたび起こっている。マナーを教える立場の教育者でさえ、なぜそれらを推奨すべきなのか、深く理解していないことが多い。

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そもそも、変なビジネスマナーの大半は、顧客や取引先や上司などの相手に気に入られるための工夫に満ちた『所作』から始まっている。それは誰かが発見して生み出したライフハックだ。

 

例えば、「偉い人から名刺をもらったら、商談中は座布団を引くように名刺入れの上に置く」とかいう謎マナーを聞いたことがあるが、こういうのは営業マンの誰かがたまたま思いついて実践したら顧客に気に入られたので、有効なノウハウとして他の営業にも勧めるようになった『所作』であり、ライフハックだろう。他の営業マンと差別化するために個人的に取り入れるのは自由だが、これを『ルール』や『作法』のような常識的なマナーとして全員に強制するのは、どう考えても横暴だ。

目上の人のビールのグラスが空いたらすかさず注ぐ、などの飲み会マナーも、上司や先輩に好かれるための『所作』であり、縦社会で生きている同類であることを示す『共通コード』である。決して、『ルール』や『作法』にあたる、万人向けのマナーではない。

 

他人に教育という名目でマナーを強制したり、何らかのマナーを批判したりする場合には、そのマナーが5つのレイヤーのどれに相当するものか、事前に考えてみると良いだろう。

 

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そういえば誕生日だった

目が覚めたら、今日は誕生日だった。

おめでとう、俺。

ありがとう、世界。

 

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というわけで、独り言に近い所感メモをこっそり書く。

 

はてな面でいうと、はてなブックマーカーとしては引き続き頑張りつつ、はてなブログはもっと高頻度かつ気軽にいろいろ書いて行こうと思ってます。

 

仕事面でいうと、アーガイル株式会社 / argyle Inc.を立ち上げて、今年の12月でちょうど10年目。

メインの収益源である法人向けツールとSNSコンサルは、ケンブリッジアナリティカの野郎のせいで各SNSのAPI仕様変更に踊らされたりしつつも相変わらず堅調。でも、新サービスについては企画と開発の期間が年単位で長引いて、なかなか世に出せてなかった。今期はそれら新サービスが一気に出揃いそうなので、健康に気をつけつつますます頑張るぞー!

作りたいサービスや製品のアイデアが山のようにあるのに、実現スピードが遅いので、体制面や資金面でも解決していきたいです。

あと、オフィスを2倍に増床したので(内装がひと段落したら後で改めて報告します)、なんか定期的にイベントをやっていきたい。ビジネス関連だけでなく、美味いもの食べる会とか、ゲームする会とか、ブレストする会とか、ゆるいやつを。

 

プライベート面でいうと、無理のない運動をしつつ5キロ痩せたい。スマホでの隙間時間つぶしを辞めたい。あと交友の時間をもう少し増やしていきたい。

 

ゲーム面でいうと、スプラトゥーン2に次ぐ据え置き機のハマりゲームをそろそろ見つけたいです。PS4のスパイダーマンは買った初日に数時間しかやってないので、反省している。あと、ドラクエ11をニンテンドースイッチで早く出してくれ!

 

サウナ面でいうと、最近の癒しは完全にたまに仕事帰りに直行する、サウナ+水風呂+外気浴+マッサージ+ビールになって来ているので、引き続き推進していきたい。都内のおすすめサウナが知りたい。

 

食べ歩き面でいうと、最近は平日の昼休みを取る時間がズレて神楽坂ランチの食べ歩きがあんまり出来てないので、もっと早く食べに出ることを心がけたい。地元は新規開拓しつつも、通いたくなる店を見つけたい。知人の誘いや新しい店に行く会にもどんどん参加して行きたい。

 

なんか新しいことを学びたいし、体験したいし、発信していきたい。集中力の低下に負けずに、43歳も好奇心全開で頑張ります!

犬童一利監督作品「きらきら眼鏡」に圧倒された

後悔している。この映画を、こんなに上映期間終了ギリギリに観てしまったことを。この映画の良さをどんなに伝えても、あと数日だけでは、これを読んだほとんどの人に劇場で観る機会が残されていないかもしれない。


この映画をいわゆるラブストーリーと思って観ると、良い意味で裏切られるかもしれない。とても優しい映画でありながら、自分の他に「大切な存在」を持つ全ての人々に叩きつけられた、美しくて残酷な問題提起だからだ。


これは、あらかじめすべてが喪われている物語だ。そして、世界のすべてが美しく見えるという『きらきら眼鏡』を心にかけて生きることの意味を問う、優しくて切ない物語である。

 

youtu.be

「きらきら眼鏡」予告編

 


前作「つむぐもの」の時にも思ったが、犬童一利監督の映画は、新しい作品を撮るごとにどんどん良くなって行く。犬童一利監督作品に共通する、独特なカメラの眼差しを無理矢理に言葉にするならば、それは「優しさに溢れたハードボイルド」だ。もしかすると、これは毎回共作している脚本家の守口悠介氏の眼差しでもあるかもしれない。

犬童一利監督の映画は、本当に驚くほどに、セリフや演技や演出でテーマを語らない。テレビドラマや邦画の伝統的なコードに全く縛られていない。具体的に言えば「作り手が作中の人物の感情に流されていない」のだ。

ただ、そこにいる人々を生来の優しい目線で切り取り、何も加えず何も引かずに(もちろん撮って出しなどではなく、結果的にそうなるように徹底的に計算しつくされた上で)観客に見せている。どこにでもいそうな人々の日常が、実に2時間ものあいだ観る人を惹きつけ続ける映画として見事に成立している。


分かりやすさが美徳とされる時代に、ここまでテーマの解釈を観客に委ねる商業映画があるのか、と驚くかもしれない。とはいえ、ストーリーも演技も描写もセリフも、難解なところはひとつとしてない。物語の筋もまっすぐ通っている。それなのに、あらゆるシーンで、その意味を深く深く考えさせられるのだ。あたかも自分の生きて来た人生を、あらためて客観的な映像で見せられているかのように。


喪った大切な人をいつまでも忘れることが出来ない、ということは、死ぬ者にとっても遺された者にとっても、残酷な呪縛であると同時に救済でもある。それらは表裏一体なのだ。


テレビ局が仕掛けるタレントづくしの邦画の、大仰な演出に飽き飽きしている人にこそ観てほしい映画だ。約2時間、登場人物たちと同じ時間軸をともに生きた末に、何気ないラストカットの信じられないほどの美しさを、その身でぜひ実感してほしい。


ちなみに都内は、シネマート新宿(伊勢丹の向かい、コメ兵の隣)で、10月18日(木)まで16時半からの上映。吉祥寺の「ココロヲ・動かす・映画館」では、10月21日(日)まで上映している。物語の舞台となっている千葉県のららぽーと船橋のTOHOシネマズでは、ロングラン上映が決まっているようだ。また、首都圏以外の劇場公開はこれからとのことなので、ぜひ観てほしい。

 

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