モフモフ社長の矛盾メモ

ヒゲとメガネとパンダと矛盾を愛するアーガイル社のモフモフ社長が神楽坂から愛をこめて走り書きする気まぐれメモランダム

劇場版レヴュースタァライトは、何かに青春の全てを捧げた同志たちの『関係』のみを描いた濃厚な心象劇だった

ブログの表題で、言いたいことはほぼ言い終えた。これは具体的なネタバレを含まない評論文である。

『劇場版・レヴュースタァライト』は、何かに青春の全てを捧げた同志たち(さまざまな組み合わせの二人組)の『関係』のみを丁寧に描いた濃厚な心象劇であり、間違いなく傑作だった。

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結論から言うと、この作品を絶対に観るべき人は「凝りまくった演出のアニメが好き」で、「青春の一時期を犠牲にしてまで何かに取り組んだ経験があり」、「友人は、一緒につるむ遊び友達というより、仲間やライバルや同志と呼ぶべき関係性が多い」人なのかな、と。これらに当てはまる人は、今すぐ観るべきだ。

繰り返しになるけれど、「何かに本気で打ち込む『同志たち』の『関係』そのもの『だけ』を描いた作品」。たぶんこれに早く気づけるかどうかで、この作品が心にぶっ刺さるかどうかが決まるのではないかと思う。ネタバレではないので、未見の人はこれだけでも覚悟してから観た方が、鑑賞の質が高まります。

※なお、このブログ記事は劇場鑑賞した直後に走り書きした感想メモをベースにしており、公開のタイミングを逃して約半年も下書きのまま寝かしておいた後に、サブスク配信を機に加筆修正して公開されたものです。

 

自分は、TV版2話までと、総集編的な映画「ロンド・ロンド・ロンド」だけを観てから、今回の劇場映画を観た。(その後、テレビ版も改めて全話観たが、かなり楽しめた)

正直、劇場版を観るまでは、この作品の個人的評価はそれほど高くなかった。本作を知った入り口が『幾原邦彦監督の弟子筋にあたる監督による、ウテナ的な演出が売りの作品らしい』という方向性だったのが、かなり先入観になって、素直な鑑賞を邪魔していたのかもしれない。

とは言え『機械仕掛けと舞台劇演出のマリアージュ』という、幾原イズムとも言える演出センスは、この作品にも色濃く出ている。古くは特撮やロボットアニメの出撃(ワンダバ)シーンから発する、歯車やレールなどの複雑な機構が変則的にグリグリ動く映像の快感と、古くは魔女っ子からセーラームーン(幾原監督の参加作品)の変身バンクに連なる美麗な映像演出との融合、そこに宝塚や天井桟敷など様々な舞台演劇の演出要素を組み合わせた、あのドラッグ的な映像は、この作品にもしっかりと引き継がれ、正統進化を遂げている。

しかし、幾原監督作品と大きく異なるのは、作品中の時代性や社会的なテーマの不在だ。だが、そのことで逆に、この作品が普遍的な人間そのものを描くことに集中していることに気づいた。

このアニメには、時代性や社会性やテーマは不要なのだ。不要だからこそ切り落とされているのだ。ただ少女を、いや、少女と少女との「関係」だけを描くために研ぎ澄まされ、特化されている。

どこまでも純粋に、同じ夢を追う者同士のさまざまな2人の「関係」だけを、ひたすら丁寧に描いた作品だ。

少女達の本音は、全てが心象風景として舞台の上に具現化する。驚くべきことに演出の全てが心象風景だ。個々のエピソードや人物設定、ストーリーすらも、少女達の心を映し出すための装置、すなわち演出の一部でしかない。

 

この作品の登場人物はすべからく、煌めく舞台に立つために普通の少女の楽しみを全て犠牲にして生きて来た、選ばれし者たちだけである。それ以外の人間は、家族やモブキャラとしてすら登場することはない。こんなにも特殊で純度が高くスコープ(視野)の狭い作品は、他に類を見ない。

だからこそ、日々の努力も、自分の才能に対する苦悩も、舞台の上で脚光を浴びることすらも、彼女達にとってみれば毎日繰り返される単調な「日常」なのだ。普通の作品ならば、メインテーマにもなりうるそれらの事象は、彼女達にとっては単なる日常生活の一部なので、特に重要なものとして描写されない。

そんな彼女達にとっての非日常、すなわちこの作品が描くメインテーマになっているものとは何か。それは、舞台のために切り捨てて来たはずの「友情」と「人間関係」だ。

百合などという安易な表現を用いることは憚られる。この作品で描かれているのは、友人を超えた同志、仲間、ライバル、相互依存、師弟などの普遍的な関係性の発露である。

それら一般人にとっての日常が、非日常としてケレン味満点の演出とともに描き出される異常性こそが、本作「少女歌劇レヴュースタァライト」の本質ではないだろうか。

それを見つめる狂言回しのキリンは、実のところ我々観客の投影であり、舞台上の彼女達を燃え上がらせるための名もなき燃料であり養分なのである。そして我々は今日も、彼女達の燃料になるため劇場に足を運び、舞台という夢のために普通を捨てた少女達にとっての舞台裏=非日常=普通を垣間見るのである。

個人的には多忙につき、劇場では三度以上観ることはかなわなかったが、サブスク配信された今なら、いつでも燃料となって彼女達の「非日常=普通」を眺めることが出来る。未見の人もぜひ、夢のために全てを焼き尽くさんとする少女達の一瞬の輝きを見守る、一塊の燃料になる体験を楽しんでほしい。

 

PS

最後に個人的な感想メモを。少女達の関係性の中でも、天堂真矢と西條クロディーヌのシークエンスが、特によかった。作品全体を通じて驚きと感動に包まれていたが、特に胸に響き実際に涙が出たのは、そのシーンだった。

まさに夢に青春を燃やした者達にとっての、エヴァーグリーンになりそうな「わたしの推し」作品である。サブスクでまた、何度もじっくり観ようっと。