Negicco「アイドルばかり聴かないで」が素晴らしい。
- アーティスト: Negicco
- 出版社/メーカー: T-Palette Records
- 発売日: 2013/05/29
- メディア: CD
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今までに小西康陽がプロデュース(作詞・作曲・編曲)して来たアイドルソングの中でも抜群の出来だ。
この曲、本日7月6日(土)から「ゴッドタン」のエンディングテーマにも起用されるということで、まさにノリに乗っている。
はじめに正直に言っておくと、これを歌っているNegiccoというアイドルグループについては、あまり良く知らない(申し訳ない)。だから、これはいわゆるアイドル論ではない。
この文章は小西康陽の楽曲論から始まり、80年代のアイドル歌謡黄金期を支えた筒美京平、林哲司、船山基紀らの足跡をたどり、最後にはピチカート・ファイヴの高浪敬太郎へと帰着する、アイドル歌謡についての私的な評論だ。
メロディの役割、サウンドの役割
まだ聴いていない人は、まず何も言わずにこの曲を聴いて欲しい。
Negicco / アイドルばかり聴かないで MV(full ver.) - YouTube
昨今のアイドル事情を皮肉ったメタ的な歌詞や、「ざーんねーん」の面白さばかりに気を取られそうになるが、楽曲をしっかり聴いて欲しい。
のっけから始まる、疾走感のあるストリングスが特徴的なバックトラック(伴奏)は、まさに80年代中期〜後期のアイドル歌謡を思わせるが、その裏で響くのは今風にアレンジされたリズムパート(ドラム、ベース)だ。
良いメロディには時代を越える普遍性がある。名曲が時代を越えて歌い継がれ、演奏され、色あせることが無いゆえんだ。しかしバックトラック、特にリズムパートやミックスは、どんなに洗練されていても「時代性=流行のサウンド」という呪縛から逃れるのが難しい。
例えば、古い歌謡曲のカバーをする時、今風に感じさせるにはどうすればいいか。元の元の優れたメロディを活かしつつ、リズムパートのビートや音色を変え、さらにミキシングの段階でもサウンドを今風に変える工夫をする。何度もカバーされている「17歳」の時代ごとのアレンジの変遷などを聴くと、わかりやすいかもしれない。
南沙織(70年代歌謡) → 森高千里(90年代風ユーロビート) → 銀杏BOYZ(00年代風青春パンク)
今回の曲のように、リズムパート以外のストリングスやホーンセクションなどのバックトラックのアレンジを80年代風にすることで、今風なのに懐かしい、という感覚を起こさせることができる。この辺りは、誰が聴いてもわかる「歌謡曲っぽさ」を出すために非常に重要な部分だ。
小西康陽らしさとは何か
もちろんこの曲は、単に80年代歌謡っぽいサウンドだけの曲ではない。ケレン味にあふれたブレイクのアレンジやスクラッチ音は、渋谷系を彷彿とさせる小西サウンド全開だし、Aメロ・Bメロあたりのソロパートでの、声が震えて安定しない棒読み風の歌唱指導(深田恭子や小倉優子のプロデュース時を彷彿とさせる)は、まさに人形としてのアイドル(シャンソン人形!)を体現しており、相変わらず職人芸の域だ。気の抜けた「ざんねーん」の掛け声(ウゴウゴルーガっぽい!)や、「トゥルットゥー」のスキャットも、まさに小西節アイドル歌謡の真骨頂。
そして、最早アイドル歌謡の定番となった、Aメロ・Bメロのソロパートでのマイク順番渡し(これのひとつの完成形は、筒美京平による少年隊「仮面舞踏会」のBメロ!)も抜け目なく取り入れている。
そして、アイドル歌謡の王道、サビのユニゾンも忘れていない(グループアイドルは基本的にハモってはいけないのだ。若さの物量作戦のようなユニゾンこそが力を持つ)。これらの文脈を踏襲することで、小西康陽らしい強いオリジナリティを持ちながらも、実に見事な王道アイドル歌謡に仕上がっている。
小西康陽も「『私の中の筒美京平』が暴発したような作品です」と語っていたそうだ。だがこの曲を、「筒美京平オマージュの80年代アイドル歌謡」と、ひとことで片付けてしまうのには、ちょっと抵抗があるのだ。
筒美京平ばかり呼ばないで
音楽批評家の記事などでも、80年代アイドル歌謡っぽい曲だと、すぐに筒美京平の名前を出して、それだけで決着をつけてしまう風潮があるが、大の筒美京平フリークの自分としても、ちょっと待ったと言いたい。
この曲を含めたアイドル歌謡のプロデュースにおいて、小西康陽が筒美京平をオマージュしているのは、あくまでも「強烈なメロディライン(節回し)」「メロディのパターンや転調の多さ」「80年代アイドル歌謡的な王道の曲構成」といったアプローチ手法だけだ。曲調を似せているわけではない。
むしろ、メロディラインはピチカート・ファイヴ時代からまったく変わらない、独特の「小西節」全開だ。この曲の節回しも歌唱法も、かつて深田恭子や小倉優子に提供した一連の楽曲そのまんまである。
逆に、小西康陽が筒美京平を意識して本気でオマージュすると、完全にそのまんまの曲になってしまう。下にあげた「太陽は泣いている」→「モナムール東京」のように。
太陽は泣いている19680904いしだあゆみ - YouTube
Mon Amour Tokyo - Pizzicato Five - YouTube
個人的に「アイドルばかり聴かないで」の、生音風のストリングスを多用した疾走感のあるバックトラックのアレンジは、筒美京平よりも林哲司に近いと思っている。
林哲司は、上田正樹「悲しい色やねん」、中森明菜「北ウイング」などの作曲で知られ、菊池桃子、河合奈保子、岩崎良美、杉山清貴らを始め、数々の優れた楽曲を手がけた、多作の作曲家、プロデューサーである。
独断で80年代歌謡シーンを代表する職業作曲家を5人あげるとしたら、筒美京平、林哲司、後藤次利、馬飼野康二、芹澤廣明あたりになるだろうか。
そんな林哲司作曲の名曲「Broken Sunset」(菊池桃子)を紹介しておく。
ストリングスのアレンジ(特に2番の後の間奏!)がすごく格好いい。
Broken Sunset 菊池桃子 (高音質) PhotoMovie 【HD】 - YouTube
さらに言えば「アイドルばかり聴かないで」は、ユーロビート時代よりも前の船山基紀の編曲にも近いんじゃないかと思う。船山基紀は、筒美京平とのタッグはあまりにも有名だし、林哲司との仕事も多い。我々が今「80年代歌謡曲」と呼んでいる楽曲群のテイストを生み出したのは、筒美京平の作曲以上に船山基紀のアレンジなんじゃないかと思っている。今回の曲調とは異なるが、特に80年代後半の和製ユーロビートは、船山基紀の独壇場だ。その中でも、Wink「淋しい熱帯魚」の完成されたサウンドアレンジは、ひとつの頂点と言える。
80年代歌謡らしさというのは、筒美京平の中だけにあるわけではなく、様々な楽曲、作曲・編曲家の競演によって形成されたものだ。
※追記:80年代当時のアイドル全体の状況としては、下の記事に詳しい。
そんなゆとりな彼のための80年代女性アイドルの当時的な感覚での格付け
サウンドの話でずいぶん脱線してしまったが、次は楽曲の構成について見ていこう。
ミニマル感と楽曲密度
「アイドルばかり聴かないで」の曲の構成で、まず注目すべきは、前奏や間奏をあっさりと切り捨てているところだ(あらためて楽曲を聴きながら読んで欲しい)。
曲が始まって、気がついたらすぐにAメロに入っている。
そして、1番のサビから2番のAメロへの、あまりにも素早く鮮やかな移行。
そして、2番目のサビが終わり、長い間奏が始まりそうなところを、リモコンの信号音のような「ピッ」という音だけでブレイクさせてしまう大胆さ!
その結果、曲全体を3分半という短さにおさめることに成功している。
他のアイドルソングとは一線を画す、小西康陽特有のムダな音が一切無いアレンジと、あっさりした曲構成は、ときにスカスカで淡白に感じられてしまうことがある。
しかしこの曲では、前奏や間奏を大胆に切り捨てることで得たミニマル感によって、擬似的に楽曲の密度を上げている。
昨今に流行するボーカロイド曲やアニメソング(神前暁、ヒャダインなど)の魅力は、「手数の多さ」「過剰なつめこみ感」「カラフルな展開」「スピード感」である。この辺りについては、以下の記事に詳しい。
浮世絵化するJ-POPとボーカロイド 〜でんぱ組.inc、じん(自然の敵P)、sasakure.UK、トーマから見る「音楽の手数」論
この曲では、80年代風のアレンジやシンプルなサウンドの良さを残したままで、楽曲の密度の高さを錯覚させ、曲全体の印象を今風に感じさせることに成功しているのだ。
「2番Aメロの譜割り」という試金石
この曲もそうだが、歌謡曲の王道といわれる曲は、以下のような構造を持っている。
1番: Aメロ → Bメロ → Aメロ → Bメロ → サビ →
2番: Aメロ → Bメロ → サビ →
間奏 →(Cメロ)→ Bメロ → サビ → サビ
これを前提にした個人的な持論だが、こういう構造の歌謡曲の場合、1番のAメロと2番のAメロは、譜割り(歌詞をメロディに乗せる時のリズム)を大胆に変えて行くべきだと思っている。なぜなら、それが聴く人の快感を呼ぶからだ。
同じフレーズのリフレイン(繰り返し)による原初的な快感に交じる、微妙なノイズ(変調)というのは、少しづつ変容しながら繰り返す「遺伝子の螺旋構造」にも似た、高度な快感構造だ。テクノやハウスなどの単調なリズムパートに、徐々にアレンジされたウワモノやブレイクが乗って行くのを想像してみると、わかりやすい。
1番と2番の譜割りを変えるだけで、「2番のAメロ」には、Cメロ(「大サビ」とも言われる変調部分)にも似た、特別な輝きが生まれる。たいていの歌謡曲において、自分はサビよりも2番のAメロに一番魅力を感じる。
「アイドルばかり聴かないで」で言えば、1番の「(男の人は女の子より)ずっとロマンティスト」と2番の「(普通の人はCDなんて)もう買わなくなった」の、譜割りの絶妙な違い。
こういう細部にこそ神が宿る。これこそ筒美京平らの築き上げた歌謡曲マインドを小西康陽が色濃く受け継いでいる部分だと思う。
小西康陽という詞の天才
歌詞については、まったく触れないのか、と思う人もいるかもしれない。
ひとことで言えば、この曲はフランス・ギャルの同名曲「アイドルばかり聴かないで」のタイトルを借りた、ピチカート・ファイヴ「大人になりましょう」の変奏曲だ。
ピチカート・ファイヴ 大人になりましょう - YouTube
しかし、小西康陽の書く詞の話は(俺にさせると)長くなるので、今回の記事ではあえて触れない。ただ、自分は小西康陽の一番の魅力は、メロディでもサウンドでもなく、その詞だと思っている。彼は、現代日本でも数少ない天才作詞家のひとりだ。ピチカート・ファイヴにおいても、サウンドばかりが注目されたが、もっと評価されるべきなのは詞の世界だと思っている。
そして、どちらかと言えば初期〜中期ピチカート・ファイヴの曲では、自分は高浪敬太郎の方が好きなのである。
ガールポップと高浪敬太郎
ここからは、ピチカート・ファイヴの小西康陽じゃない方、途中で辞めた方、こと高浪敬太郎(現在は、高浪慶太郎)の話をして、この非常に個人的で趣味的な文章を終わりたいと思う。
個人的には、おしゃれなガールポップの曲を書かせるなら、小西康陽よりも高浪敬太郎だと思っている。90年代に俺が勝手に「ガールポップ三太郎」のひとりと呼んでいた(たぶん俺以外誰も呼んでない)ほどの素晴らしいプロデューサーだ。
……完璧に余談になるが、残りの二太郎は渡辺善太郎と桜井鉄太郎(と俺が勝手に決めた)と記憶している。ある意味これは「ドイツ3大B」のブラームス以上に強引な話なので、これ以上ツッコまないで欲しい。
さて、その素晴らしさを言葉で説明するより、彼がプロデュースしたアルバムのひとつを紹介しよう。とてつもなくマイナーな企画物のアルバムだが、名曲揃いだ。高浪敬太郎の楽曲なら、5曲めの「素敵なDr.」が素晴らしい。
「フレンチ大作戦」
このアルバムについては、初期ピチカートの鴨宮諒が参加している他、サーフコースターズの中シゲヲがプロデュースした2曲目「絶対、ダメッ!」など、これだけでブログ記事が2,3本書けるほど語れるので、もし要望があれば紹介記事を書きたいと思う。
そんな高浪敬太郎が、昨年プロデュースしたのが、野佐怜奈。
ここには、「高浪敬太郎が野宮真貴と一緒にやりたかった、もうひとつのピチカート・ファイヴ」がある。
デビュー・アルバム「don't kiss, but yes」は、歌謡テイストと高浪ピチカートのテイストがあふれる、捨て曲なしの極上のガールポップに仕上がっている。
このサイトで、全曲を少しづつ試聴できる。
野佐怜奈 | nosa reina オフィシャルWEBSITE | discography
その中でも下記にリンクを張った「ランブルスコに恋して」と、「嘘つきルージュ」「身のほどしらず」あたりの曲がオススメ。
渋谷系にハマった人、80年代歌謡に興味がある人は、ぜひチェックしてみて欲しい。
評論といいつつ、好きな歌を紹介するだけで終わった感があるが、もし1曲でも新たに気になる歌を見つけていただけたなら、幸いだ。間違った部分を見つけたり、ご意見などがある方がいたら、ぜひコメントをお願いします。
それにしても、1曲でここまで80年代アイドル歌謡について語らせてしまう「アイドルばかり聴かないで」は、やはり凄いなあ。
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